2007年9月30日日曜日

トリエステ

ギブス測度の性質についてまとめてある本が読みたかったので、
統計力学(http://www.amazon.co.jp/%E7%B5%B1%E8%A8%88%E5%8A%9B%E5%AD%A6%E2%80%95%E7%9B%B8%E8%BB%A2%E7%A7%BB%E3%81%AE%E6%95%B0%E7%90%86-%E9%BB%92%E7%94%B0-%E8%80%95%E5%97%A3/dp/4563010863)
を買った。

冒頭にこんな一説があった。
「後年、彼(ボルツマンのこと)はエネルギー論者との科学論争の末、うつ病にかかり、1906年9月5日イタリアのトリエステの近くで自殺をとげた。」

トリエステは、須賀敦子の「トリエステの坂道」でも述べられているように、
第一次世界大戦までオーストリアの版図であったから、
ウィーン大学の教授だったボルツマンが静養にくるのもおかしくはない。
だが、須賀敦子の随筆に書かれたトリエステは、
オーストリアの港町ではあったけれど、
風の強い地味な街で、
およそボルツマンの気鬱を解消させるような街にはみえなかった。
折角なので、インターネットで検索をして、
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/data/pdf_0312historical-heritage/04matsumura.pdf
に書かれているトリエステの歴史をざっと読んでみたが、
ベネチアの凋落と対照的にオーストリアハンガリー帝国の海の玄関口として繁栄した、
という歴史的事実以外には、
真っ青な空の写真、古代ローマ時代の遺跡の写真、
がわずかに心に安らぎを与えるものだった。

ゲーテ、リルケ、ボルツマン
と、アルプスを越えて南にやってきた人物を比較してみると、
陽気なゲーテ、
生真面目なリルケ、
不運なボルツマン、
といった印象を抱く。

"イタリア紀行"には、職をなげうって馬車に飛び乗って徹夜でそこらじゅうを探し回るゲーテの
エネルギッシュな姿がいやおうなく飛び交っているし、
"フィレンツェだより "には芸術にひたすら力を注ぎ、刻苦勉励という言葉が似合うリルケ、
薔薇の棘に刺されて死んだという逸話もさもありなんと思わせる。

一方、
ボルツマンが残したものは、
ボルツマン方程式とH定理についての諸論文、
ボルツマンの原理および
それらを母体とする統計力学である。
ボルツマンがこの世を去る少し前、
1902年にはルベーグが測度についての論文を発表し、
同じ年、ギブズが"統計力学の基本原理"をまとめている。
そして、1905年にはアインシュタインがブラウン運動に関する論文を発表、
分子の存在が改めて認知されるに至った。

数学的な定式化は物理に較べて遅々として進まなかった。
コルモグロフが1933年に"確率論の基礎概念"を著し、
測度論的確率論の理論が整備され、
Dobrushin-Lanford-Ruelleによる諸論文が1960年代に書かれ、
Varadhanが大偏差原理に基づいた格子気体モデルについての論文を書いている。
ようやく、統計力学における統計の意味と近似の度合いが、
手の届くところにやってきた感がある。

ボルツマンが死んで、すでに102年が過ぎた。

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