2007年8月24日金曜日

"勤勉革命"について

文明の海洋史観の中に出てきた、"勤勉革命"という用語については、
もう少し掘り下げて理解する必要があると思われる。
なにより、もともとの動機であるソフトウェア産業従事者の生産性、
について理解するためのキーワードのような気がする。

とくに日本が強いとされている組み込みソフトウェア分野は、
希少な資源のもとでの簡潔な動作、
を制約としている。
近世江戸社会の資源に対する制約との類似が一見して感じられた。

"勤勉革命"で、検索をしてみると、以下のページが見つかった。
- http://www.ruralnet.or.jp/syutyo/1998/199810.htm
 江戸期の農業に関するページ
- http://www.joho-kyoto.or.jp/~retail/akinai/senjin/ishida-2.html
 「勤勉・誠実・正直」の精神を説く、石田梅岩についてのページ
- http://ocw.dmc.keio.ac.jp/j/meikougi/Prof_Hayami_resume.pdf
 勤勉革命の言葉を提唱した速水氏の講義の自己採点。この中で勤勉革命を
 「一方、「勤勉革命」とは、経済社会の展開の過程で、生産量の増大を専ら労働力によって実現しようとする方向で、長時間労働、激しい労働、機械力を伴わない工夫などが相当する。日本の江戸時代は、まさにこの「勤勉革命」によって生産量が増大した。そこでは「勤勉」が道徳的に善とされ、それを引き継いだ戦前の教育では、神格化された二宮金次郎の像が、各公立小学校の校庭に建てられていた。勤勉革命(industrious revolution)という概念は、産業革命(industrial revolution)に対置する概念として国際的にも使われるようになっている。」
 と説明されている。

勤勉、という言葉に関しては、率直に言って、個人的に恐怖と喪失感を感じる。
ソフトウェア業界においては、如何に効率よくサボるか、がかなり重要な点を占めている。
自動でやれることはコンピュータに任せて、本当に人間がやらなければならないところに重点を置く、
ということが、ソフトウェア業界における美徳とされている。
だが、実際の開発現場では、多かれ少なかれ、本来機械に任せるべきことを人海戦術で人間が行う、ということも多数行われている。
例えば、民生品の品質保証のための回帰テスト。
個人的にはほとんどの回帰テストは本来機械による自動化がなされるべきであると思っているが、
日本においては、そのような動きは少ない。
多くのテスターが手動で決められた手順による試験を何度も繰り返している。
勤勉は美徳、という精神がどこかに怨霊のように住み付いている様な気がするのである。

今までは、人海戦術に頼る開発手法のおかげで日本のソフトウェア産業従事者の需要が増大していたのは、紛れもない事実だった。
だが、オフショア開発というコスト削減の選択肢(これは依頼先に対して勤勉性、生産性のどちらに比重をおくのか、ということについては問わず、ただ結果だけを求める)
が浮かび上がってきた現在、ソフトウェア産業従事者の勤勉について、今までのような楽観は許されなくなった。
これは、明治の脱亜入欧期に勤勉革命から産業革命の導入を強いられた、という点と類似するのではないか?

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