何の気なしにp-adic physicsで検索してみると
http://www.secamlocal.ex.ac.uk/people/staff/mrwatkin/zeta/physics7.htm#intro
がひっかっかった。
整数論と量子物理を融合させようという野心的な試みが、
ロシアを中心に行われているらしい。
adele上での物理を考えるということは、
R上で共形場を考えると同様のことを
p進体上でも何らかの拡大体上で考えて、
全部合わせると綺麗
といったことができるのだろうか?
そうするとLangrands対応は、
何を対応付けるものになるのだろうか?
保形表現->場
ガロア群の表現->基本粒子
対応するL関数の特殊値->状態を特徴付ける量
なんて馬鹿げたことになると面白いのだけれど。
すると岩沢理論はプランク定数より短距離の物理を記述するためのワープ
ということになって、
めでたしめでたし。
まぁ傍観者はじっとみているのみ。
2007年12月21日金曜日
2007年11月4日日曜日
オフショアについて
ソフトウェアは今後、
-大規模化
-標準化
-投機的実行の増大
の流れを避けられないだろう。
これは、オフショアに出すときには、発注元は十全な準備が必要なことを意味する。
大規模ソフトウェア開発においては、
名前の管理、使用する機能の重複を防ぐための適切な階層管理
が必要となる。
特に名前については、日本は不利である。
オフショアの発注先のほうが英語に慣れている可能性がある上、
発音に対する神経が敏感である。
名前に使用する英単語、とくに専門用語の対応をきちんと辞書化して、
発注元、発注先で使用単語が異ならないようにする必要がある。
また、単語の短縮形は成るだけ用いないほうが無難である。
重複開発を防ぐために、ユーティリティ関数および主要機能のメソッド抽出は
発注元が責任を持って仕様化する必要がある。
その際、仕様作成部隊と設計部隊に齟齬があってはならない。
標準化、はとくにネットワークの使用を前提とする場合は必須である。
標準は短いスパンで揺れ動く可能性があるので、
開発は投機的に行わざるを得ない場合が多い。
リスクを軽減するためには、
市場のビッグプレーヤーとして標準化を独断的に行える立場となるか、
標準化が落ち着くまで待ってから該当ソフトウェアを購入するか、
標準を無視するか、
といった方法があるが、
オフショア先に選択をさせてはならない。
-大規模化
-標準化
-投機的実行の増大
の流れを避けられないだろう。
これは、オフショアに出すときには、発注元は十全な準備が必要なことを意味する。
大規模ソフトウェア開発においては、
名前の管理、使用する機能の重複を防ぐための適切な階層管理
が必要となる。
特に名前については、日本は不利である。
オフショアの発注先のほうが英語に慣れている可能性がある上、
発音に対する神経が敏感である。
名前に使用する英単語、とくに専門用語の対応をきちんと辞書化して、
発注元、発注先で使用単語が異ならないようにする必要がある。
また、単語の短縮形は成るだけ用いないほうが無難である。
重複開発を防ぐために、ユーティリティ関数および主要機能のメソッド抽出は
発注元が責任を持って仕様化する必要がある。
その際、仕様作成部隊と設計部隊に齟齬があってはならない。
標準化、はとくにネットワークの使用を前提とする場合は必須である。
標準は短いスパンで揺れ動く可能性があるので、
開発は投機的に行わざるを得ない場合が多い。
リスクを軽減するためには、
市場のビッグプレーヤーとして標準化を独断的に行える立場となるか、
標準化が落ち着くまで待ってから該当ソフトウェアを購入するか、
標準を無視するか、
といった方法があるが、
オフショア先に選択をさせてはならない。
松本にて
子供の頃に、戦争は悲惨で人がたくさん死んだ、
と第2次世界大戦のイメージを植えつけられていたために、
戦国時代というものを多少誤解している感がある。
1500年から1700年にかけて、
日本は大開墾時代で、
人口は増大していた。
兵士が戦場で兵糧を消費して、田畑を荒しても、
それを補って余りある生産増大を達成していた時代、
と認識する必要がある。
だからこそ、
各地に大規模な城郭を建造することが可能だった。
松本城は典型的な平城で、
大手門枡形から眺めるお堀越しの天守は非常に優雅だが、
お堀は極めて浅い。
もともと信濃の国は小豪族が寄り集まっていて、それほど大規模な勢力とはなり得なかったから、
桃山時代における松本城の役割は、
関東の徳川家康への備え、
中央政府の威信の掲揚、
であったのだろう。
徳川家康への押さえとして、石川数正を配置した豊臣秀吉の方針にも苦笑せざるを得ないが、
石川家は端から徳川家に対してそれほど強硬な圧力をかける気はなく、
だから、あまり戦時の城を意識させない優美なお城となったのだろう。
石川家はすぐに途絶え、
その後は変遷を遂げながらも戸田家のものとなる。
江戸時代後期の小藩の貧窮は日暮硯に詳しいが、
松本は小藩ながら、実情は15万石相当の裕福な藩であったそうだ。
幕末を迎え、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、
"藩内180ヶ寺の内140ヶ寺が破壊された。"
とある。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E5%B8%82)
焼け爛れた仏像、光背を一部切り取ってかくまわれた仏像、
など、生々しい姿を松本市美術館で拝見することが出来たのは幸運だった。
と第2次世界大戦のイメージを植えつけられていたために、
戦国時代というものを多少誤解している感がある。
1500年から1700年にかけて、
日本は大開墾時代で、
人口は増大していた。
兵士が戦場で兵糧を消費して、田畑を荒しても、
それを補って余りある生産増大を達成していた時代、
と認識する必要がある。
だからこそ、
各地に大規模な城郭を建造することが可能だった。
松本城は典型的な平城で、
大手門枡形から眺めるお堀越しの天守は非常に優雅だが、
お堀は極めて浅い。
もともと信濃の国は小豪族が寄り集まっていて、それほど大規模な勢力とはなり得なかったから、
桃山時代における松本城の役割は、
関東の徳川家康への備え、
中央政府の威信の掲揚、
であったのだろう。
徳川家康への押さえとして、石川数正を配置した豊臣秀吉の方針にも苦笑せざるを得ないが、
石川家は端から徳川家に対してそれほど強硬な圧力をかける気はなく、
だから、あまり戦時の城を意識させない優美なお城となったのだろう。
石川家はすぐに途絶え、
その後は変遷を遂げながらも戸田家のものとなる。
江戸時代後期の小藩の貧窮は日暮硯に詳しいが、
松本は小藩ながら、実情は15万石相当の裕福な藩であったそうだ。
幕末を迎え、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、
"藩内180ヶ寺の内140ヶ寺が破壊された。"
とある。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E5%B8%82)
焼け爛れた仏像、光背を一部切り取ってかくまわれた仏像、
など、生々しい姿を松本市美術館で拝見することが出来たのは幸運だった。
人口の波
中央本線の車中で、
「人口から読む日本の歴史」(鬼頭宏 講談社学術文庫)
を読んだ。
http://www8.cao.go.jp/shoushi/whitepaper/w-2004/html-h/html/g1110030.html
にあるグラフの通り、
日本の人口は
紀元前4000年をピークとする縄文時代の人口循環、
弥生時代の稲作普及に始まる波、
14,15世紀の市場経済発達に始まる波、
19世紀の工業化に支えられた波、
の4つの波がある。
興味深かったのは、
慶長年間(1600年前後)に1000万人前後だった人口が
1750年前後に2500万人前後とほぼ3倍弱に増大しているが、
その後は明治に至るまで微増である、
という点と、
1721-1846における国別人口の変化(p96 図4)
に顕著に見られる、
都市による人口増加の阻害、
中国、四国、九州地方の人口増大
という点である。
後者の図を見ると、長州薩摩に幕府が太刀打ちできなかったのは十分納得できる。
「人口から読む日本の歴史」(鬼頭宏 講談社学術文庫)
を読んだ。
http://www8.cao.go.jp/shoushi/whitepaper/w-2004/html-h/html/g1110030.html
にあるグラフの通り、
日本の人口は
紀元前4000年をピークとする縄文時代の人口循環、
弥生時代の稲作普及に始まる波、
14,15世紀の市場経済発達に始まる波、
19世紀の工業化に支えられた波、
の4つの波がある。
興味深かったのは、
慶長年間(1600年前後)に1000万人前後だった人口が
1750年前後に2500万人前後とほぼ3倍弱に増大しているが、
その後は明治に至るまで微増である、
という点と、
1721-1846における国別人口の変化(p96 図4)
に顕著に見られる、
都市による人口増加の阻害、
中国、四国、九州地方の人口増大
という点である。
後者の図を見ると、長州薩摩に幕府が太刀打ちできなかったのは十分納得できる。
2007年10月7日日曜日
ほうとう
折角八王子に引っ越してきたのだから、
と、そごうのレストラン街でほうとうを食べた。
山菜と味噌、それにかぼちゃが程よく美味しい。
ここ数年は傍から見れば明らかに馬鹿馬鹿しい失敗をやらかして、
精神的にも浮き沈みははげしかったのだが、
こうしてほうとうを食べていると、
この味を味わうのに必要な経験であったのだ、と感じられる。
フランス語の授業で、
"Le plus beau voyage, c'est celui qu'on n'a pas encore fait."
という文章が出てきて、
先生は、これは旅行前はいろいろ空想をして期待するが実際に行ってみるとそれほどでもない、
または2回目に行ってみると最初ほどではなくがっかりする、
という程度の意味だ、
と言っていたが、
どうも日本人は旅という言葉に別の感覚、人生を投影する感覚があるらしく、
もっと哲学的にこの文章を捉えたがる傾向にあるようだ。
私以外にももう一人、似たような意見の人がいた。
当然のごとく、日本語でもまともに説明できそうにない感覚的なものを
今の語学力で説明できるはずもなく、
先生は"L'ephemere"という単語を出してきたが、
やはり違うというほかはなかった。
と、そごうのレストラン街でほうとうを食べた。
山菜と味噌、それにかぼちゃが程よく美味しい。
ここ数年は傍から見れば明らかに馬鹿馬鹿しい失敗をやらかして、
精神的にも浮き沈みははげしかったのだが、
こうしてほうとうを食べていると、
この味を味わうのに必要な経験であったのだ、と感じられる。
フランス語の授業で、
"Le plus beau voyage, c'est celui qu'on n'a pas encore fait."
という文章が出てきて、
先生は、これは旅行前はいろいろ空想をして期待するが実際に行ってみるとそれほどでもない、
または2回目に行ってみると最初ほどではなくがっかりする、
という程度の意味だ、
と言っていたが、
どうも日本人は旅という言葉に別の感覚、人生を投影する感覚があるらしく、
もっと哲学的にこの文章を捉えたがる傾向にあるようだ。
私以外にももう一人、似たような意見の人がいた。
当然のごとく、日本語でもまともに説明できそうにない感覚的なものを
今の語学力で説明できるはずもなく、
先生は"L'ephemere"という単語を出してきたが、
やはり違うというほかはなかった。
fractal string
昨日三省堂で立ち読みをしていた本の中に、
Fractal Geometry, Complex Dimensions and Zeta Functions
http://www.yurinsha.com/394/p9.htm#1
があった。
カントール集合のような1次元自己相似フラクタルについて、
その領域の長さを大きい順に並べて{l[i]}として、
ζ(s) = Σ(l[i])^(s)
と定義したとき、この関数の振る舞いはどうなるか、
ということを調べている本のようだ。
l[i]=1/iのときはRiemannのゼータ関数になる。
フラクタルの性質と、その図形をもたらす力学系の性質を結びつけ、
さらには、ラプラシアンの固有値と関連付けて、極や零点を解釈しよう、
という試みらしい。
簡単な例として、カントール集合、フィボナッチ数列に対応する集合、黄金率に対応する集合
があった。
ただ、そこで出ている例をみると、
1/(1-2*3^(-s))のような、ある意味局所的な項しかでてこない。
オイラー積のような綺麗な性質を持つfractal stringの例はないので、
途中まで読んで買う気が失せた。
はたして、
因子分解できるゼータ関数をもたらすfractal stringは存在するのだろうか?
感覚的には、自己相似のなかにさらに自己相似が異なるスケールで入っているような図形をつくれば出来そうな気がする。
とりあえず、
有限和の場合だけを考えると、
これは有理数で上下からはさめるので、
分母も払って、
Nとその分割
という形でパラメトライズできる。
でも、有限和ではどうしようもないので、
今度は自己相似をきちんと階層化して、それぞれの階層を記述する必要がある。
カントール集合の場合、テント写像のようなわかりやすい力学系と結びつくが、
力学系の位相同型で不変な性質と、ゼータ関数の性質はちょっと度合いが違いそうな気がする。
なにか手近な例はないだろうか?
Fractal Geometry, Complex Dimensions and Zeta Functions
http://www.yurinsha.com/394/p9.htm#1
があった。
カントール集合のような1次元自己相似フラクタルについて、
その領域の長さを大きい順に並べて{l[i]}として、
ζ(s) = Σ(l[i])^(s)
と定義したとき、この関数の振る舞いはどうなるか、
ということを調べている本のようだ。
l[i]=1/iのときはRiemannのゼータ関数になる。
フラクタルの性質と、その図形をもたらす力学系の性質を結びつけ、
さらには、ラプラシアンの固有値と関連付けて、極や零点を解釈しよう、
という試みらしい。
簡単な例として、カントール集合、フィボナッチ数列に対応する集合、黄金率に対応する集合
があった。
ただ、そこで出ている例をみると、
1/(1-2*3^(-s))のような、ある意味局所的な項しかでてこない。
オイラー積のような綺麗な性質を持つfractal stringの例はないので、
途中まで読んで買う気が失せた。
はたして、
因子分解できるゼータ関数をもたらすfractal stringは存在するのだろうか?
感覚的には、自己相似のなかにさらに自己相似が異なるスケールで入っているような図形をつくれば出来そうな気がする。
とりあえず、
有限和の場合だけを考えると、
これは有理数で上下からはさめるので、
分母も払って、
Nとその分割
という形でパラメトライズできる。
でも、有限和ではどうしようもないので、
今度は自己相似をきちんと階層化して、それぞれの階層を記述する必要がある。
カントール集合の場合、テント写像のようなわかりやすい力学系と結びつくが、
力学系の位相同型で不変な性質と、ゼータ関数の性質はちょっと度合いが違いそうな気がする。
なにか手近な例はないだろうか?
2007年9月30日日曜日
トリエステ
ギブス測度の性質についてまとめてある本が読みたかったので、
統計力学(http://www.amazon.co.jp/%E7%B5%B1%E8%A8%88%E5%8A%9B%E5%AD%A6%E2%80%95%E7%9B%B8%E8%BB%A2%E7%A7%BB%E3%81%AE%E6%95%B0%E7%90%86-%E9%BB%92%E7%94%B0-%E8%80%95%E5%97%A3/dp/4563010863)
を買った。
冒頭にこんな一説があった。
「後年、彼(ボルツマンのこと)はエネルギー論者との科学論争の末、うつ病にかかり、1906年9月5日イタリアのトリエステの近くで自殺をとげた。」
トリエステは、須賀敦子の「トリエステの坂道」でも述べられているように、
第一次世界大戦までオーストリアの版図であったから、
ウィーン大学の教授だったボルツマンが静養にくるのもおかしくはない。
だが、須賀敦子の随筆に書かれたトリエステは、
オーストリアの港町ではあったけれど、
風の強い地味な街で、
およそボルツマンの気鬱を解消させるような街にはみえなかった。
折角なので、インターネットで検索をして、
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/data/pdf_0312historical-heritage/04matsumura.pdf
に書かれているトリエステの歴史をざっと読んでみたが、
ベネチアの凋落と対照的にオーストリアハンガリー帝国の海の玄関口として繁栄した、
という歴史的事実以外には、
真っ青な空の写真、古代ローマ時代の遺跡の写真、
がわずかに心に安らぎを与えるものだった。
ゲーテ、リルケ、ボルツマン
と、アルプスを越えて南にやってきた人物を比較してみると、
陽気なゲーテ、
生真面目なリルケ、
不運なボルツマン、
といった印象を抱く。
"イタリア紀行"には、職をなげうって馬車に飛び乗って徹夜でそこらじゅうを探し回るゲーテの
エネルギッシュな姿がいやおうなく飛び交っているし、
"フィレンツェだより "には芸術にひたすら力を注ぎ、刻苦勉励という言葉が似合うリルケ、
薔薇の棘に刺されて死んだという逸話もさもありなんと思わせる。
一方、
ボルツマンが残したものは、
ボルツマン方程式とH定理についての諸論文、
ボルツマンの原理および
それらを母体とする統計力学である。
ボルツマンがこの世を去る少し前、
1902年にはルベーグが測度についての論文を発表し、
同じ年、ギブズが"統計力学の基本原理"をまとめている。
そして、1905年にはアインシュタインがブラウン運動に関する論文を発表、
分子の存在が改めて認知されるに至った。
数学的な定式化は物理に較べて遅々として進まなかった。
コルモグロフが1933年に"確率論の基礎概念"を著し、
測度論的確率論の理論が整備され、
Dobrushin-Lanford-Ruelleによる諸論文が1960年代に書かれ、
Varadhanが大偏差原理に基づいた格子気体モデルについての論文を書いている。
ようやく、統計力学における統計の意味と近似の度合いが、
手の届くところにやってきた感がある。
ボルツマンが死んで、すでに102年が過ぎた。
統計力学(http://www.amazon.co.jp/%E7%B5%B1%E8%A8%88%E5%8A%9B%E5%AD%A6%E2%80%95%E7%9B%B8%E8%BB%A2%E7%A7%BB%E3%81%AE%E6%95%B0%E7%90%86-%E9%BB%92%E7%94%B0-%E8%80%95%E5%97%A3/dp/4563010863)
を買った。
冒頭にこんな一説があった。
「後年、彼(ボルツマンのこと)はエネルギー論者との科学論争の末、うつ病にかかり、1906年9月5日イタリアのトリエステの近くで自殺をとげた。」
トリエステは、須賀敦子の「トリエステの坂道」でも述べられているように、
第一次世界大戦までオーストリアの版図であったから、
ウィーン大学の教授だったボルツマンが静養にくるのもおかしくはない。
だが、須賀敦子の随筆に書かれたトリエステは、
オーストリアの港町ではあったけれど、
風の強い地味な街で、
およそボルツマンの気鬱を解消させるような街にはみえなかった。
折角なので、インターネットで検索をして、
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/data/pdf_0312historical-heritage/04matsumura.pdf
に書かれているトリエステの歴史をざっと読んでみたが、
ベネチアの凋落と対照的にオーストリアハンガリー帝国の海の玄関口として繁栄した、
という歴史的事実以外には、
真っ青な空の写真、古代ローマ時代の遺跡の写真、
がわずかに心に安らぎを与えるものだった。
ゲーテ、リルケ、ボルツマン
と、アルプスを越えて南にやってきた人物を比較してみると、
陽気なゲーテ、
生真面目なリルケ、
不運なボルツマン、
といった印象を抱く。
"イタリア紀行"には、職をなげうって馬車に飛び乗って徹夜でそこらじゅうを探し回るゲーテの
エネルギッシュな姿がいやおうなく飛び交っているし、
"フィレンツェだより "には芸術にひたすら力を注ぎ、刻苦勉励という言葉が似合うリルケ、
薔薇の棘に刺されて死んだという逸話もさもありなんと思わせる。
一方、
ボルツマンが残したものは、
ボルツマン方程式とH定理についての諸論文、
ボルツマンの原理および
それらを母体とする統計力学である。
ボルツマンがこの世を去る少し前、
1902年にはルベーグが測度についての論文を発表し、
同じ年、ギブズが"統計力学の基本原理"をまとめている。
そして、1905年にはアインシュタインがブラウン運動に関する論文を発表、
分子の存在が改めて認知されるに至った。
数学的な定式化は物理に較べて遅々として進まなかった。
コルモグロフが1933年に"確率論の基礎概念"を著し、
測度論的確率論の理論が整備され、
Dobrushin-Lanford-Ruelleによる諸論文が1960年代に書かれ、
Varadhanが大偏差原理に基づいた格子気体モデルについての論文を書いている。
ようやく、統計力学における統計の意味と近似の度合いが、
手の届くところにやってきた感がある。
ボルツマンが死んで、すでに102年が過ぎた。
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